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2020年8月5日水曜日

底辺のGIVE&TAKE理論

少し前に「GIVE&TAKE」という本が話題になりました。
人間をギバー(与える人、自己犠牲者)、テイカー(奪う人、自分の利益優先)、マッチャー(損得バランスいい人)の3種類に分け、
長期的に得をするのは与える人、ギバーであるとした本です。
一見、そうだよなって思う話なんですよね。
そりゃ奪っていく人より与えてくれる人に近づきたいのは当然ですし。
 
本が話題になった当時は趣味の繋がりがありまして、私もギブには心がけようと思いました。
趣味情報を積極的に教えたりとかね。
しかし結果として「人として扱ってもらえない」と思うに至りました。
例えば挨拶もなしに「○○を書いて」「○○情報を教えて」と言われ、そのとおりにすると礼も言わないとか。
「オフ会開いて」と言われ、準備すると当の本人「行けたら行きます」(来ない)とか。
オフ会開くのだって場所代かかるんだぞ?
私の情報を見たあとで、さも自分が発見したように公表してそっちが話題になり、「Mさん考案の〜」として定着するとかね。

ただの養分じゃないですか。
知ってるよ、それで期待に沿わなかったら「使えねぇ」とか言うんでしょ。
どうあがいても搾取される側。

まああまりにも無礼なものや一度痛い目を見た人の要望には次から気をつけて
継続して情報発信とかしていけばいつか誰かと趣味友になれるかも。
なんて思ってたんですけどね。

趣味友をどんどん増やすのは私の情報を横取りしたMさんで
どこまで行っても私ではなかったわけですよ。
私がGIVEしてもダメなんだな。というのがよくよくわかりました。

少し前、どこかで見かけたんですけど
GIVEできる人というのはそもそもが高スペックで、余裕があるからたくさんGIVEできるのだと。
何も持ってない人が必死でGIVEしても辛いだけとか
ソース元探してみたんですが見つけらなかったので嘘かもしれませんけどね。
うちの会社のエースさんを思い起こしても、余裕で仕事を終らせる能力があるから他人を手伝えるっていうのはそのとおりだなと思うわけですよ。

加えて私のような低スペックができるGIVEなんて、大したものではないですしね。
高スペックなら100GIVEできるところを、私が持てる力を振り絞っても5GIVEくらいしかできていないわけなんですよ。
その程度じゃ感謝もされませんわよね。
それで私は一生懸命やってるつもりなんですから、そりゃ無理ですわ。


パワハラ野郎とのやり取りでまだ落ち込んでるのでルサンチマンなことを書くわけですが
というのもね、パワハラ野郎は確実に人を見てパワハラしてるんですよね。
他人に舐められる、低スペックの辛いところですね。

ああー高スペックに生まれたかった。

2020年7月31日金曜日

怒りを抑えるのに効果的だった方法(でもまだ怒る)

今日も今日とてパワハラ野郎から嫌がらせをされましてね。
一緒に会議に出ていた人が「強烈ですね」と言うほどだったのでよほどだったのでしょう。
しかも上司がいない時を見計らうという卑劣な行為。蔑みが捗ります。

そんな事があり、私は大変腹が立ったわけです。
ぼっちは暇ですから、腹を立てる時間的余裕が大いにあり、
やられたことを反芻したり将来こう言われるであろう事をシミュレートしたりして、いつまでも怒っていられます。よくないね。

私は短気な性格なので、怒りとの付き合い方にはかなり苦慮してます。
私の人生は怒りとの戦いと言ってもいいくらいですよほんと。
で、ある時アンガーマネジメントの講座に行きまして
怒りについて色々学んできたのです。

その中でかなり有効だなと思ったのが「お怒り点数表」
名前はうろ覚え。
なぜか四国電力のページに詳しい事が書いてありました。これこれ。

人生最大の怒りを10点とした場合、今の怒りは何点くらいかを考える方法。

まず人生最大の怒りを考えてみよう。
中学生の時の宿泊研修の一連のあれかな。他にも震えるほど腹がたった事があったねぇ。
そういうのに比べたらパワハラ野郎の卑怯な嫌味は……2点くらい?

そしてどこに腹がたったのかも整理してみる。
ここまでやると大体の怒りは静まりますね。「なんだ2点か」みたいな感じになります。
あとパワハラ野郎にこういうことをされたというのはいつかのためにまとめておくので記録としても大事。

点数と内容をメモに書き、ある時見返してみるというのもいい感じでして
そもそも書くにはまとめないといけない、まとめると落ち着く。
そして見返した時に頻出パターンを見つけて
「この人こういう人だし」と諦めるなり、自分の行動で改善できるのでは?と思ったり
8割は忘れてたしどうでもいいことで怒ってるなぁーと他人事のように思ったり、
それを捨てて「さようなら過去の怒り」などと言いながらスッキリした感じになったりするのです。

と、ここまで対策しても未だに怒りに悩まされる。
だってパワハラ野郎さん消滅しないですからね。
これが毎日なら大変だけど、こうやってブログにしたためるくらいの回数ですし、
あまり奴のことは考えないほうが人生の幸せ。
いやーほんと、単純作業のほうが幸福度高いかもしれない。
マンガでやさしくわかるアンガーマネジメント - 戸田久美, 葛城かえで, 柾朱鷺

2019年5月28日火曜日

友達を狙い通りに作れる人って凄い

コストを支払って友達を作った時、リターンは得られるのか?
という視点で興味深いブログがありました。凄く面白いです。

ひとりぼっちの残酷すぎる成功法則 https://honeshabri.hatenablog.com/entry/hitoribocchi_law


要するに友達作ったほうが幸福になれる確率高いよ。って内容です。
友達というより人脈というほうが適切なのかもしれない。

私もぼっちブログ書いてますけど、
友達ガチャを引いたら人生楽しいよ、SSR友達がひけるよ。
というお誘いはいつだって魅力的です。


記載内容は論理に沿ったもので納得のいくものなんですけど
この手の話を聞くたびに、その理論何か強烈に大事なものが欠けているのでは?と思わざるを得ないのです。

差別というと少し強すぎる気がしますので
人間が持つ侮り力、とでもいいましょうか。


他人ってすぐ他人の事を侮るよね。
と思う訳です。
もしかすると、GIVE&TAKEの著者は他人から侮られた事が無く、他人を侮らない人なのかもしれない。
でも私めちゃくちゃ侮られるんですよ。

今でも思い出します、小学校3年生かそのくらいだったと思います。
給食の時間に誰かとぶつかって、デザートのオレンジを落としたと憤慨していたOさん。
そこで私は言いました。「私のオレンジをあげるよ」
するとどうでしょう。Oさんは烈火のごとく怒りだし、周囲はクスクス笑い出し、
「お前のなんかいるかバーーーーーカ!!!」
と怒鳴りつけられ、それからしばらく帰り道で顔を合わせるたびに悪口を言われました。


私は昔から力関係?のようなものを読めなくて、
自分がカースト底辺であることは薄々感じていたものの、
カースト底辺に「情けをかけられる」事で憤慨されるという知恵は持っておらず
見事に地雷を踏み抜きクラスでの地位をさらに低下させたのでした。


そんなの正しいギブじゃないとかやり方が悪いとか色々あるかもしれません。
だとしたら「正しく」振る舞う方法を教えておくれよと思うわけですよ。

そんな事いちいち言われないと分からんのか、って思ったあなた。
そう、その見下し、侮蔑、マウント。
GIVE&TAKE理論(と言うかどうかは不明だけど)に欠けているのはそれだ。


他人が何を以て自分より下だと位置づけるかは分かりません。
性別、年収、学歴、体型、顔面偏差値、雰囲気…
最終的には「なんとなく」とか「生理的に」とか
そこにはだいたい「嫌い」という感情もセットでついて来たりするわけです。


で、結構根が深いと思うのは、
善意を持って他人と接していた人はきっと多いと思うんですよ。
でもその善意を否定されてしいまった。

じゃあ善意を示さないのがいいのかな?と試行錯誤するものの、
そっちはそっちで否定されて
結局何をやってもダメという結論だけが残ってしまう。
同じことをやっている他人は喜ばれている現場とか見てしまうとね、
ああ結局誰がやるかなんだな。って、学習してしまう訳ですよ。

まあ中にはキモイ善意もあったのでしょうけれど、
本人分かってないですからね。
誰か注意してくれる人が居れば違ったんでしょうけど、
それすらされない底辺でしたから、


変われば良いって言われても
まあ私くらいの年齢になるとそれなりに人とは接し、失敗を重ねており、
かつ失敗の原因が年々不可解になっていくし、
この暴君が輪の中心に居れて、この聖人はハブられてるの?(自分の事じゃないですよ)
と驚くケースにも若干遭遇しているので
不可解、ひたすら人間関係は不可解です。
人と関係性を築くことは、宇宙人と交信するような感じになってます。
そこまでのコストをかけて、ハテ一体何をしたいんでしょうね?
と、ふと我に帰ったり。

そうなの、友達とやりたい事とか、特に無……


私結構ぼっち生活満喫してると思ってるので
ぼっち生活にかかるコストが著しく低いから余計にそう思うのかも…

変わりたくない、という訳ではないんです。
どちらかというと変化してみたいですね。
ただどっちの方向進めばいいのかさっぱりわかりませんわ。

2019年4月25日木曜日

レシピ通りに作れば失敗しない、だが成功もしないという話

料理を作るのは好きなんですが、下手です。
前に「パティシエになりたい」という夢を持った女子高生の手作りケーキを食べた事があるのですが、
それはもう最高に美味しかったんですよ。見た目も綺麗だし。
今の私はその倍の人生を生きているのに、
一応毎日自炊しているのに、
何故こんなにも料理が下手なんだろう?
と、考えずにはいられない毎日です。

前にそのようなボヤキをしたところ、知人から
「レシピに書かれている通り、正確に計量すれば失敗するわけがない」
と一蹴されました。

確かに。
レシピ通りの手順で、分量をきっちり計量すれば、味は整う。
でもね、味だけ整っても私が考える成功ではないの。
特に焼き菓子系は、味は何とかなってても膨らまないとか陥没するとかキメが荒いとか割れるとかフルーツ沈没とかパサパサするとか生焼けとか色々あって、
考えれば考えるほど、
計量をしっかりするだけではダメだ。
と思う訳ですよ。


理由。
多くのレシピで頻出の単語
「クリーム状になるまで擦り混ぜる」
クリーム状って何だ?
ホイップクリームのクリームとクリームチーズのクリームではだいぶ違う。
ホイップだけでも7分立てとか状態は色々あるけどどの辺?

「白っぽくなるまで混ぜる」
どこからが「白っぽい」のか。つまり何色なのか?
コードで頼む。
#fffd91くらい?#f7f6b2くらい?


「もったりするまで混ぜる」
もったり!とは!!!


…と、説明がまず曖昧なのです。
でもそれも仕方ない。どのバターを使うか、どのオーブンを使うか、ディスプレイの色味はどうかは人それぞれ。レシピを書いている人には分からないのですから。
きっちり「180度で焼く」と温度を明記している場合でも、使うオーブンによっては焦げるし。


成功ゲージが見えない状態で、やりすぎでもなく、足りなくもない当たりポイントを探る作業。おお怖い。
そしてこれらを乗り越えた先には最難関「切るように混ぜる」「さっくり混ぜる」が待っている…!!


失敗したくないのではなく、成功させたいのです。
私の感覚では「失敗ではない」と「成功」の間に深い溝があり、
そこを越えるのがめちゃくちゃ難しいって気がしてます。

どうやったら料理上手になれるのやら。
同じものたくさん作って練習するしかないのでしょうけれど
ぼっちだと消費もできないので作るペースもゆっくり…

かーっ、人生コミュ力ですね、かーっ。

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