コストを支払って友達を作った時、リターンは得られるのか?
という視点で興味深いブログがありました。凄く面白いです。
ひとりぼっちの残酷すぎる成功法則 https://honeshabri.hatenablog.com/entry/hitoribocchi_law
要するに友達作ったほうが幸福になれる確率高いよ。って内容です。
友達というより人脈というほうが適切なのかもしれない。
私もぼっちブログ書いてますけど、
友達ガチャを引いたら人生楽しいよ、SSR友達がひけるよ。
というお誘いはいつだって魅力的です。
記載内容は論理に沿ったもので納得のいくものなんですけど
この手の話を聞くたびに、その理論何か強烈に大事なものが欠けているのでは?と思わざるを得ないのです。
差別というと少し強すぎる気がしますので
人間が持つ侮り力、とでもいいましょうか。
他人ってすぐ他人の事を侮るよね。
と思う訳です。
もしかすると、GIVE&TAKEの著者は他人から侮られた事が無く、他人を侮らない人なのかもしれない。
でも私めちゃくちゃ侮られるんですよ。
今でも思い出します、小学校3年生かそのくらいだったと思います。
給食の時間に誰かとぶつかって、デザートのオレンジを落としたと憤慨していたOさん。
そこで私は言いました。「私のオレンジをあげるよ」
するとどうでしょう。Oさんは烈火のごとく怒りだし、周囲はクスクス笑い出し、
「お前のなんかいるかバーーーーーカ!!!」
と怒鳴りつけられ、それからしばらく帰り道で顔を合わせるたびに悪口を言われました。
私は昔から力関係?のようなものを読めなくて、
自分がカースト底辺であることは薄々感じていたものの、
カースト底辺に「情けをかけられる」事で憤慨されるという知恵は持っておらず
見事に地雷を踏み抜きクラスでの地位をさらに低下させたのでした。
そんなの正しいギブじゃないとかやり方が悪いとか色々あるかもしれません。
だとしたら「正しく」振る舞う方法を教えておくれよと思うわけですよ。
そんな事いちいち言われないと分からんのか、って思ったあなた。
そう、その見下し、侮蔑、マウント。
GIVE&TAKE理論(と言うかどうかは不明だけど)に欠けているのはそれだ。
他人が何を以て自分より下だと位置づけるかは分かりません。
性別、年収、学歴、体型、顔面偏差値、雰囲気…
最終的には「なんとなく」とか「生理的に」とか
そこにはだいたい「嫌い」という感情もセットでついて来たりするわけです。
で、結構根が深いと思うのは、
善意を持って他人と接していた人はきっと多いと思うんですよ。
でもその善意を否定されてしいまった。
じゃあ善意を示さないのがいいのかな?と試行錯誤するものの、
そっちはそっちで否定されて
結局何をやってもダメという結論だけが残ってしまう。
同じことをやっている他人は喜ばれている現場とか見てしまうとね、
ああ結局誰がやるかなんだな。って、学習してしまう訳ですよ。
まあ中にはキモイ善意もあったのでしょうけれど、
本人分かってないですからね。
誰か注意してくれる人が居れば違ったんでしょうけど、
それすらされない底辺でしたから、
変われば良いって言われても
まあ私くらいの年齢になるとそれなりに人とは接し、失敗を重ねており、
かつ失敗の原因が年々不可解になっていくし、
この暴君が輪の中心に居れて、この聖人はハブられてるの?(自分の事じゃないですよ)
と驚くケースにも若干遭遇しているので
不可解、ひたすら人間関係は不可解です。
人と関係性を築くことは、宇宙人と交信するような感じになってます。
そこまでのコストをかけて、ハテ一体何をしたいんでしょうね?
と、ふと我に帰ったり。
そうなの、友達とやりたい事とか、特に無……
私結構ぼっち生活満喫してると思ってるので
ぼっち生活にかかるコストが著しく低いから余計にそう思うのかも…
変わりたくない、という訳ではないんです。
どちらかというと変化してみたいですね。
ただどっちの方向進めばいいのかさっぱりわかりませんわ。
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