他人に許されている事が自分には許されないと気が付いたのはいつの頃だったか。
なぜ対応が違うんでしょう?顔か?服のセンスか?まあ大体顔かもしれない。
された側にとっては不公平極まりないですが、ほとんどの人が自らもやっていることで
例えば若者は軽く見られがちで歳をとると落ち着くとか、
部長と同じ権威をヒラ社員は与えられないとか
ブスにも美女と同じ対応をしろ!なんて言い出したら袋叩きに遭いますし?性別逆もまた然り。
そういう事に対して、世間はいつだって「努力しろ」って言うんですよ。
年齢は無理としても、努力して出世すればいい。努力して容姿を整えれば良い。努力して見た目をきちんとしろ。などなど。
じゃあその努力は報われるのかというと、まあ大体の場合報われないです。
そうすると世間は「努力が足りないからだ」と言う。
もっと努力しろ、人の何倍も努力しろ、死ぬ気で努力しろ、努力の方向性が、やり方が、どうのこうの。
アーサー(映画「ジョーカー」の主人公)に対しても、努力が足りないねー、と言おうと思えば言えなくはない。
彼はコメディアンになりたいとは言うものの、ショーの練習をしている様子が全く出て来ないし、ネタも暗記できていない。
その割に、おそろしく都合のいい妄想ばかりしてて、
突然有名コメディアンに見いだされ、自分語りをしたら観客から拍手喝采、ショーは大成功だ。君のおかげだアーサー。息子と呼ばせてくれ。
みたいな。
エレベーターに乗り合わせた女性も、妄想内で突然彼女になってるし。
妄想の中ではみんなアーサーに優しくて、尽くしてくれて、彼が望むものを与えてくれる。
ダメじゃんアーサー、なんもしてないじゃん。それは努力以前に行動が足りないよ。
と、思わず言いたくなってきます。
じゃあ努力さえすればどうにかなったか?というと、
アーサーは無理だと思うんですよね。
得意な事というのは、そこまで努力してないのに思いのほかリターンが返ってくる事だそうで。
ならば不得意はその逆、努力しても全くリターンが返ってこないものですね。
これ、好き嫌いとは別次元の話なのが辛いんですが。
アーサーは病気があり、笑うべきではない所で笑ってしまうし、笑いのツボも多分人と違う。
そのせいで努力とかそういう次元ではなくコメディアンは「不得意」なんですが
自分の夢を諦めてお金稼げる別の仕事で働こうと割り切ることもできずにいる。
コメディアンになることと並ぶもう一つの夢であり、軸にもなっているのが、他人から受け入れてもらうこと。
ハグしてほしい。と言ってました。
アーサーは、自身が病気というだけにとどまらず、母は要介護、家は貧乏、働けば不良に絡まれ、クビになり、カウンセリングは打ち切られ、薬も出してもらえず
人生ハードモードで生きてます。
「僕が倒れていたら踏みつけるだろう?」と作中で叫ぶわけですが
そうだろうなって思います。
というか、全編通してアーサーは他人に期待を持ちすぎ感があるんですよね。
私が倒れたらみんな踏みつけて行くと思うんですよ。
「自力で立てない奴は殺せ」とか言い出す人も出るでしょうね。
他人なんて所詮そういうもの、っていう諦めがアーサーには無いんです。
相手に期待して、でも期待通りの反応が無いと傷ついちゃって、怒っちゃう。
ある日アーサーは、ピエロの仕事の帰りにサラリーマンに絡まれ、そのサラリーマンを撃ち殺してしまいます。
それが何故か上級国民を許さない運動として支持され、ピエロの姿でデモを行うムーブメントになり、
アーサーはその中心人物として担がれます。
(このムーブメントに関しても警察から「お前のせいだ」と言われるんだけどアーサーはただ殺しただけ、そこにマスコミが意味を加えて炊きつけて市民が乗っかってる、でも自分の影響だと言われたアーサーは嬉しかったのかも。)
アメリカのほうで、この映画はジョーカーを英雄的に描いている、と批判があったようですが
私はそのようには思えず、
どちらかというと「(俺らはやらないけどお前は)やれ!立て!」と
味方のフリした民衆に煽られているように見えました。
まあ英雄に対してもそんなもんだってワイルドアームズ2がやってたけど。
祭り上げられてはいるけれど、彼が欲したハグをしてくれる人はおらず、
一定の距離を取って遠巻きに見られてるんですよね。
アーサー、それ、君が真に受けて実行して捕まったりしたらそいつら喜んだり、手のひら返して批判するやつだぞ。
娯楽として消費されるんだぞアーサー。
いいのか。そういうピエロになるのか。
そうか。
ちなみに今更ですが私、バットマンを観た事がないです。
映画でやけにフォーカスされていた少年が居て、
彼が将来のバットマンなんだろうなと思って調べてみたら
プロフィール欄に「大富豪」と出てきて思わず舌打ちが出ました。
しかも彼にはアーサーが欲しくて仕方なかった父親と、彼のために尽くしてくれる執事まで付いてるんですよ。
生まれながらに。
倒れても踏まれないほうの人間。「大丈夫?」って駆け寄ってもらえる人間。
だからといって、目の前で両親を殺された苦しみやバットマンになるための努力が嘘だったことにはなりませんが
そりゃー坊ちゃんなら金に物を言わせて世界中回って最高の知識を得られますわな。
なんて思っちゃうんですよ。
最近よく言われる格差社会の努力の差ってこういうのかな、と、思わざるを得ません。
もう完全にジョーカー視点になってます。
いやほんと、無尽蔵の富とか言うならコストカットされた福祉の予算に充ててあげて。
そしたらジョーカーは誕生しなかったかもしれないんだから。
私この先ちゃんとバットマン観れるんだろうか、ちょっと心配になってきた。
あまりに評判が良くてどうしても観たくなって映画館に駆け込んできたわけですが、
ジョーカー、本当に面白かったです。
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