一般人目線で変わったな、と思っているのは、
将棋系創作物のラスボスが藤井七冠準拠になったな。
という事です。
それまでのラスボスは言わずもがな羽生九段準拠、つまり主人公より上の年代だったわけですが
ここ数年は変わって、超えるべき存在が主人公と同年代または年下になった。
これは結構大きな変化ではないでしょうか。
ラスボスが年上であれば、若き主人公の経歴や実力が及ばないのも致し方なく、背中を追いかける存在として見上げていられたわけですが
同じ年齢で活躍しまくる大スターが居る場合、スターを横目に、”神に愛されなかった者”はどう生きれば良いのか、という話になるわけで。
藤井七冠以上に経歴を盛れないのであれば主人公は負け確。
その状態から一体どこに、どのようなゴールを設定すべきなのか?
そのテーマに対して「百折不撓」という答えを用意できるのは、中年ならではの強みなのかもしれません。
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「天使の跳躍」の主人公一義は、その百折不撓の棋士、木村一基九段がモデル。
46歳までタイトルに挑戦するも獲得まで及ばず、もうダメかと思っていたところに再びタイトル挑戦の機会が到来。
対戦相手は八冠を独占する将棋界のスーパースター源大河…こちらも誰がモデルなのかは一目瞭然。
おそらく棋聖戦がモデルと思われる「聖王戦」五番勝負を戦う中
一義がこれまで辿った人生、変わっていこうとする人々のドラマが錯綜し、人生をぶつけて戦っていく様が描かれております。
人生の紆余曲折、出会った人の数などは、若きスターより勝っているのは確か。
一方で、令和の王者の人生は全く描かれず、何を考えているのかも不明で
3章後半になるまでセリフらしいセリフすら無く、徹底的に人間味を削られております。
その理由は最後に明かされるのですが…将棋的なものが得意で…このオチ…どこかで…
主人公以外にも実在の棋士をモデルとした登場人物が非常に多く、棋士を知っていれば思わずニヤリとするようなエピソードが並びます。
特に深浦九段がモデルとなっている地守九段…名前も狙ってるよね絶対、という地守九段のセリフ回しがまさに深浦九段の喋り方そのまんまで、深浦九段の声で再生されるくらいには激似。
あまりに似すぎているためか、もう少しオリジナリティがあっても良かったんじゃないかな…と思ってしまうかも。
特にタイトル戦終了後のセリフがそのまんま借用なのが気になりましたが、そのまま使いたかったんだうなとも思うし、いやしかしプロの小説家がこんな大事な場面で人の言葉をそのまま使うのか…リスペクトなんだろうけど…いやまて、実際に言葉を発した棋士ではなく源大河のセリフにしちゃうのはリスペクトなのか…?などの葛藤が私の中で生じました。
全体的に感情的で展開は熱く、ストーリーは面白いんですが
創作小説を読んでいるというより、現実のパロディ小説を読んでいる感覚が増してきてしまいますかね。
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