2020年12月11日金曜日

弱くいる権利、老いる権利 「ザ・クラウン」シーズン4後半感想 

パトレイバーの後藤隊長が言うには、資本家の夢とは給料のいらない従業員だそうで。
サッチャーが思い描く理想の国民像も多分そうだったんじゃないかなと。
国からの援助に頼らず、もりもり税金を納め、病気ひとつせず、国のために滅私奉公してくれる人、人だけでなく企業も。
しかし不景気になって国の財政が厳しくなった時ほど、国民も企業も国の援助が必要になるものなのです。

当時「英国病」とまで言われた経済的低迷の中、サッチャーは強硬な姿勢で改革を推し進めていくわけですが
根底にあるのは「自己責任・自助努力」の思想。
弱者をバッサバッサと切り捨て、弱者じゃなかった人も切り捨てて弱者側に突き落とし、常に「私が正しくて他の人が間違っている」という態度、「向上心の無い人に支援しても無駄」「敵が居ないのは戦おうとしなかったから」などと澄ました顔で言い放つその姿は、
「自分の利益を一番とする向上心のある人々」の権化として描かれております。


「ザ・クラウン」内での演出はあきれるくらい頑固で強硬でガチ保守で、自分の価値観にないものは1ミリも許さないというのがひしひしと伝わってきて
多少誇張されていたらいいなと願わずにはいられません。
実際のサッチャーがどうだったのかは、アラフォーの私でも記憶にないです。

サッチャー政権下で、イギリスの失業率は過去最高を記録するのですが
そのあおりを食らい失業した男がバッキンガム宮殿に侵入。
エリザベスに対して現状を訴えます。
人を幸せにするのは、働く権利、病気になる権利、年をとる権利、弱くいる権利だと


サッチャーの発言にも頷けるポイントは多々あり、
個人的にはエピソード4の「何もしなくて何とかなるわけがない」は、大体の場面でその通りだなと思わざるを得ないです。
ただ私はこの手の話は概ね程度問題と考えておりまして
サッチャーと侵入者が両極端な存在だとして、
どちらか片方がすべて正解で片方がすべて間違っているのではなく
どちらもある程度必要な考え方だよなって思ってます。

サッチャーの戦う姿勢は度を越して苛烈だと思いますが、人にはサッチャー成分も必要だし、
侵入者は投げやり感が強いし問題行動を起こしているのでそこは擁護できないにせよ、弱くいる権利が必要だという訴えはご尤もだと思いますね。
幸せのためというより、不幸にならないために必要。
人生いつも晴天続きではいられないですからね。

……というのが、約35年前のイギリスの話というところにまた絶望ですよ。
今年起きた事ですと言われても全く違和感のない格差。
現代風に多少アレンジされているのではと思いたいですが
もしかして35年後も同じ問題抱えてるのかしらね?

そして、常に勝者で他人を助ける必要が無いと切り捨てていたサッチャーは
同時に、誰かに「助けて」と言えない人でもあり
いざ困った時に誰も助けてくれないんですね。見事な自助努力の限界、自己責任の帰結。
ドラマ内では歴代で最もエリザベスと衝突した首相。
首相官邸を去ったのち、エリザベスはサッチャーを呼んで
衝突を繰り返した2人の違いではなく、共通点を挙げていきます。
同じ共同体を構成する仲間として、違いばかりを見つけるのではなく、思いやりを持って共通点を探す姿。
異なる意見を持つ他者を敵と切り捨てるサッチャーと対比されているのではないかと。
これも現代の対立を象徴しているように見えました。


余談ですが、フィクションと注釈を入れるかどうかで物議をかもしている「ザ・クラウン」ですが
シーズン4後半のチャールズは酷いの一言なので、
「ザ・クラウン」はフィクションだけど現実のチャールズ皇太子の株がなぜか下落してしまったとかいう事になっても私は驚かないです。
注釈が入ったところで…という感じが。
フィクションなんですけどね。フィクション。

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