2019年6月8日土曜日

世の中は停滞するものに厳しい 「リラックマとカオルさん」感想

ネットで話題の「リラックマとカオルさん」を見ました。
公式キャッチコピーが「がんばる、を忘れる10分間。」なんですが
嘘だろオイ!!と思わずツッコんでしまうくらい、色々な意味で高クオリティなアニメでした。

世間では闇が深いと話題のようですが、個人的には闇という印象はなく、
日常における理不尽を凝縮したようなアニメに見えました。(それを闇というのか…?)
あとこれはリラックマというよりカオルさんのアニメ。
『リラックマとカオルさん』予告編 -Netflix [HD]


カオルさんはアラサーのOLで、
どことなく停滞している人として描かれています。

住んでいる家も古く、持ち物は8年とか10年使い続ける、
大学時代の友好関係をずっと大事にしているのもそう。
でも周囲は結婚したり成功したり、どんどん先に進んで行って
カオルさんは一人取り残されている。


「がんばる、を忘れる」んだったらその場に居座ってのんびり暮らせばいいんじゃないの?
と思うんですけど、
カオルさん自身が「取り残され感」を気にしています。主に結婚方面で。


「取り残され感」って何かって、群れから脱落する恐怖感ですよね。
他人と同じ速度で人生を進まないといけない。
出来る限り同じ方向に進まないといけない
そのためにどうすれば良いかって、変化するしかないわけで、
作品内でも端々に、変化を促す描写が出て来ます。


でも変化って結局頑張らなきゃいけないじゃん?
しかもこの場合、自分が変わりたい方向への変化ではなく、ただ「取り残されないための施策」としての変化が必要かもしれないわけで。
就職活動と似た空気を感じるんですよね。
理想の新入社員を演じるみたいに、皆が考える理想の女子を演じろみたいな。
ピンクを着て髪をカールして常に男を立て3歩下がって歩いて家事完璧みたいな、そんなの。


群れの先頭や中心に居る人はそんな苦心しなくてもゴールできているので
「考えすぎ、そんな必要ない」とか言えるんですけど
少なくともカオルさんが「取り残され感」を気にするならある程度は必要で、それが婚活というやつではないだろか。


「がんばる、を忘れる」というテーマに基づくのんびり生活と、
カオルさんがゴリゴリ取り残されていくのを見せつけられる様子、
変化しようとは思わないのに取り残され感だけは感じるカオルさん、
そしてカオルさんを通して視聴者にのしかかる残され感という恐怖。
これが作品全体の不協和音になり、見る者を不安にさせているんじゃないかしら


個人的には、「がんばる、を忘れる」がテーマなら
人生の速度を他人に合わせる必要はないっていうメッセージのほうが良かったなぁと思いましたね。

一応、花が咲く時期は人によって違うというフォローはあるものの、
そんな言葉など無かったとでも言うような取り残され感が凄いです。
アラサーのうちに何者かにならなければいけないという無言のプレッシャーがそこにある。

カオルさんって、唯一無二のリラックマの同居人であるはずなのに
それでもダメなのかぁ、世間は厳しいなぁ。
って思いました。
全体的にネガティブになった気がするけどそういうのも含めて一回は向き合ったほうが良い作品なのでは?と思います。
ストップモーションアニメは超ハイクオリティで文句なしですし
本職の声優さんじゃなくても違和感無い演技でした。
20190608 - 1.jpg
このリラックマが雪だるまと踊るシーンは本当に最高でした。
こういうのだよ、リラックマに求めているのは。取り残され感じゃなくてさぁ!



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