2019年4月24日水曜日

エゴが極まったアニメ「どろろ」の話その2

しばらく溜まっていたアニメ「どろろ」を消化しました。
以下、どろろ12話までのネタバレを含みます。


折返しとなる12話でかなり話が進んでましたね。
ここにきてだいぶ手塚治虫とは離れてきたように思います。

というのも、手塚治虫の母親キャラはたいてい菩薩の如き優しさを持つのですが
アニメの縫の方は百鬼丸に対して「救えない」とバッサリ。
あれ、わざわざ言いに来る必要あった?と、ちょっとだけ思います。
ああー違う作品だ。としみじみ思いました。
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ただ、鬼神に自らを差し出そうとはしていた。
なぜ果たされなかったのかは謎ですが。


そう、別に犠牲者は百鬼丸でなくても良いはずでは?
多宝丸も「醍醐の国のため」とか言ってましたけど、
本当にそう思ってるなら代わってあげればいいんですよ。
今の醍醐の国の繁栄が景光の手腕ではなく鬼神によるチート効果だとするなら、
君主が醍醐景光である必要は全く無いんだから、景光も「ワシが犠牲になる」と言えばいいんです。


でもそうは言わない。(景光は言わないだろうけど)

国の繁栄のために犠牲は仕方ない。との意見は聞きますが
結局その犠牲は自分以外の誰かを想定していると。
エゴですねー。
20190424 - 1.jpg



アニメのキャッチコピーは「それは鬼か、人か」で
身体を取り戻していく百鬼丸が理性を持たぬ鬼になるのか、人となるのかという意味かと思っていましたが、
醍醐の国に厄災をもたらす鬼という側面も出てきました。
その理論で言うなら、醍醐の家族は百鬼丸にとって鬼ではないでしょうか。

お前が鬼だ、いやお前が鬼だと言い始めたらきりないやつ。


ところで、醍醐の国の繁栄に必要なコスト低すぎではないでしょうか?

さるの巻では数人の生贄を出していると明言されており、
妖刀の巻でも散々人を斬ってました。
でもそれらの国は特に豊かだという描写は無いんですよね。

一方で、醍醐の国は百鬼丸の身体の一部のみでえらい恩恵を受けてますよね。
ここちょっと疑問に感じる部分ですね。
原作では、国が荒れるのは侍が戦ばかり繰り返すからだったと記憶しています。
アニメは、少なくとも12話の説明では、異常気象と天変地異によって醍醐の国は危機に瀕したように受け取れ、
それを異常気象や天変地異が鬼神パワーで制御してもらっていると。

百鬼丸一人の犠牲で何年持つんでしょう?
私が鬼神ならじわじわと生贄代金を上げていくとか、天災マッチポンプとか
いろいろ考えちゃいますけどね!


そしてカットされるかと思ったどろろの入墨が登場。
もしかして百鬼丸が身体を取り返して醍醐の国からチート効果が消えたけど、どろろのお金を使って醍醐の国もハッピー。
みたいな終わり方になる?

それは火袋さんが望む使い方ではないのでは…
今後どうなるか楽しみです。



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