2019年3月10日日曜日

アニメどろろの巻

最近アニメが放映されている手塚治虫の「どろろ」
アマプラで見ております。
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画像は公式サイトから

「どろろ」を初めて見たのは中学生の時だったのですが
我が子を魔神に捧げるところからはじまり、48箇所を魔神に奪われた赤ん坊が登場し
魔神に苦しめられている村人を助けたと思ったのに村人から責められて
雰囲気も空気も重い、でも続きが気になって目が離せなくなっていました。
アニメはそのあたりを削ぎ落として、なんとも「綺麗などろろ」にしていますが。


醍醐景光を筆頭に、保身のためにあっさり百鬼丸に手のひらを返す村人たちとか
彼らのむき出しのエゴが「どろろ」の魅力のひとつだったのに…と残念に思っていたのですが、
アニメを見ていくうちに、アニメ百鬼丸だと原作と同じ構成は無理だなと気が付きました。


というのも、原作百鬼丸は目・耳・声帯諸々無いとは言ってますが、普通に人と意思疎通ができるし、人の言ってる事も理解できてる。
体の部位が戻ることで百鬼丸がパワーアップすることはあっても、人間的な成長という面では全く描かれていない。


一方アニメ版は目・耳・声帯が無ければ他人と意思疎通するのも無理かろうというスタンスです。
言われてみれば至極当然ですね。原作の百鬼丸が超人すぎた。
万代の巻で村人から冷遇されても、アニメ百鬼丸にとっては理解できないのだから、わざわざ冷遇シーンを入れて後味悪くする必要はない。
そう考えると、耳が戻った似蛭の巻で、罵倒ではなく泣き声で精神攻撃した判断は凄いですね。


アニメ百鬼丸は、戦闘能力以外はまるで子供のようで、
超マイペースでかいがいしく世話を焼かれているわけですが
綺麗なストーリーと超マイペース百鬼丸で、多宝丸との話どうなるんだよ!と今から楽しみのような不安のような感じです。
アニメ版は極力後味悪くないように進んでいるようなので、多宝丸も生存ルートになったりして。


絡新婦の巻…おそらく原作の鯖目の巻に相当すると思われますが
まあ見事に美しい話になってしまいましたからね。
でも今のところこの話が一番好きです。
言葉遣いもぶっきらぼうで素手で飯をかっ喰らうお萩姐さんがワイルドで好きですわ。
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嬉しいことに「どろろ」は2クールらしいので、まだしばらく楽しく見れそうです。




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